【地酒コラム】八鹿物語から紐解く~八鹿酒造(大分)

2020/12/04
大分県を代表する観光地である、旅酒2番「湯布院を旅して出会う酒」の醸造元は八鹿酒造です。
その酒蔵の入口に掲げられた額には「門笑」の文字があります。
この門から入る時は笑って入りなさいとの意味だそうです。
慈しみ深い平和な心の人間でなければうまい酒はつくれない。
酒をつくるのは酵母であり、生きもの。
生きものに対しては穏やかな平和な心で愛情をもって接していかないと
いい酒はできないとの教えとのことでした。
 

 

八鹿物語によると
元治元年(1864年)麻生家初代東江が玖珠の地に酒造業を始めた。
蔵のある石田村は水利が悪く貧しい農民は不作や飢饉に苦しんでいたことから、
初代東江、二代豊助は寒村救済の一策として水路開削に着手したものの、
工事は難航を極め、一時酒造業を中止せざるを得ない状況に追い込まれた。

明治18年(1885年)三代観八は酒造業を再興。
水路もようやく完成し、約百町歩の灌漑を成功させた。
こうして干天の時も満々と石田井路には用水が流れるようになった。

観八が晩年最も情熱と心血を注いだ大事業は、
陸の孤島玖珠開発の原動力たらしめた鉄道敷設であった。
その事業は、63歳で他界した翌年、大分⇔森間がようやく開通。

玖珠の夜明けとなった。

 

 

観八の言葉「自他修養、正直、親切、平和」を社是とし、
今もなお、四代益良、五代太一、六代益直と
大分県玖珠郡九重町右田の地でその伝統を守っている。

このように地方の地酒・酒蔵の歴史を紐解くと、
地方で長年人々の暮らしを支えてきた篤志家・偉人の姿が
現代の私たちに善き教えを導いてくれる教材が眠っていることに気がつく。

これも地酒を巡る旅の楽しみである。