日本最初で最古の銘醸地は大阪の摂津富田郷。 “大阪みたいな都会に酒蔵?” 意外かも知れませんが都会に酒蔵はあるんです。 日本酒造りに不可欠な“湧水”と“米”... 水源と肥沃な土壌に人が集まり、村から街へと発展したことを思えば、日本酒造りに適した場所は都会であっても不思議ではない。 “旅酒40”が醸された摂津富田郷は― 日本書紀にも登場する皇室の直轄地“屯田”。 大きい古墳もあり皇室との繋がりは深い。 西暦500年代以前に皇室が所有した豊かな土地は、その後、西国街道の宿場町、本願寺勢力の宗教都市、高槻城の城下町を作り上げた。
24蔵あった最盛期から2蔵に減った現在でも、 農地も減り住宅地に変わってもなお寺社仏閣が点在し、町中を網羅する水路が遠き日の田園風景を想起させる。 東西に田園が広がり南北に山河、陸路航路の要所で賑わう町は、 24の酒蔵から立ち登る湯気を眺めながら、豊香と酒造り唄を漏れ唎いたに違いない。 歴史を辿り、思いを馳せて呑む酒も旅酒。 その一献と共に時空を巡れば、呑み人の空想と先人達の記憶が交錯する。